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Jyunshiへの道〜■昨年の反省■
1997-1998シーズンに私が所属するクラブの要請(その時点で1名しか指導員がいなかった)で「準指導員」を受験することとなった。
1級を取得したのが1993-1994シーズンであったので、実に基礎スキーに関する検定は5シーズンぶりということになる。

この5シーズンは「ちょっとスキーが好きな一般スキーヤー」と言う感じであった....もちろん滑ってはいた....。今振り返ってみれば、私にとってこの期間は
スキーに対する情熱の停滞期

であったような気がする。
そして気持ち的な部分も確かに大事であるが、一番重要なのは
技術的に1級の水準が維持できていたのかどうか

と言うところ。滑走日数だけはある程度確保していたので「たぶん大丈夫なのではないか」と自分に言い聞かせてみる.....(屍)。
まあそもそも「ギリギリの1級」であったと思うので、技術の現状維持ができていたとしても、私の場合はスタート台は他の受験生より低かったことは言うまでも無い....ああ。

−−−

準指導員検定に関して「理論の養成講習会」「理論検定会」「実技の養成講習会」「実技の検定会」と何もかもが始めてであり「戸惑い」や「不安」で一杯....。
私が所属するスキークラブ内を見ても設立からそれほど経っていないこともあり、
準指導員検定に関する絶対的な情報

が不足していた。例えば
検定会の時の服装は?まさか....今どき....デモパンですか?。

.....今考えると「とてつもなく恥ずかしい」.....こんな初歩的なことすら情報がなかった。その頃はスキークラブ以外にスキー仲間がいなかったので.....インターネットなどと言うものも活用できず.....単に私の勉強不足という話もありますが.....。

ここまでお話すれば結果は自ずと想像できましたでしょうか?
1997-1998シーズンの準指導員検定は「不合格」

種目的には、私の嫌いな「プルーク系種目」と苦手な「小回り系種目」を落としました。
全種目を滑り終わった時から合格発表までの間では、私的お得意の
「裏付けのない自信」により「合格.....したかも」

と感じていたのですが、そんなに準指導員は甘くはなかったですね。

少し言い訳をさせてもらえれば.....やはり検定種目の流れに対する理解不足が原因であったような気がします。つまり
「プルークボーゲンからダイレクトにパラレルターンに導く」という呪文の理解が不足

していた。これは検定の種目別の結果(得点)が連盟から送られてきて、
自分の中での採点(種目の合否)と実際の採点が大きく異なっていたところ

で裏付けられました。翌シーズンに向けて、
「とりあえず1997-1998シーズンに練習したことは忘れる!」

を自分自信への合い言葉に1998-1999シーズンに突入!
参考:
1997-1998シーズンのトレーニング内容
□ 養成講習会 2回
□ 講習会 2回
□ 自主トレーニング 2回
| comments(0) | trackbacks(0) | by ともぞう
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